ファラデーの伝- デビーの講義・デビーに面会・助手 -

五、デビーの講義

 ファラデイの聴いたのはタタムの講義だけでは無かった。王立協会のサー・ハンフリー・デビーの講義もきいた。それはリボーの店の御得意にダンスという人があって、王立協会の会員であったので、この人に連れられて聞きに行ったので、時は一八一二年二月二十九日、三月十四日、四月八日および十日で、題目は塩素、可燃性および金属、というのであった。これも叮嚀に筆記を取って置いて、立派に清書し、実験の図も入れ、索引も附けた。だんだん講義を聴くにつれ、理化学が面白くなって来てたまらない。まだ世間の事にも暗いので、「たとい賤(いや)しくてもよいから、科学のやれる位置が欲しい」と書いた手紙を、ローヤル・ソサイテー(Royal Society)の会長のサー・ジョセフ・バンクスに出した。無論、返事は来なかった。

六、デビーに面会

 そうこうしている中に、一八一二年十月七日に製本徒弟の年期が終って、一人前の職人となり、翌日からキング町に住んでいるフランス人のデ・ラ・ロッセというに傭われることになった。ところが、この人は頗(すこぶ)る怒り易い人なので、ファラデーはすっかり職人生活が嫌いになってしまった。「商売のような、利己的な、反道徳的の仕事はいやだ。科学のような、自由な、温厚な職務に就きたい」というておった。それでダンスに勧められて、自分の希望を書いた手紙をデビーに送り、また自分の熱心な証明として、デビーの講義の筆記も送った。しかし、この筆記は大切の物なれば、御覧済みの上は御返しを願いたいと書き添えてやった。この手紙も今に残っているそうであるが、公表されてはおらぬ。

 デビーは返事をよこして、親切にもファラデーに面会してくれた。この会見は王立協会の講義室の隣りの準備室で行われた。その時デビーは「商売変えは見合わせたがよかろう。科学は、仕事がつらくて収入は少ないものだから」というた。この頃デビーは塩化窒素の研究中であったが、これは破裂し易い物で、その為め目に負傷をして衝を起したことがある。自分で手紙が書けないので、ファラデーを書記に頼んだことがあるらしい。多分マスケリーの紹介であったろう。しかしこれは、ほんの数日であった。

 その後しばらくして、ある夜ファラデーの家の前で馬車が止った。御使がデビーからの手紙を持って来たのである。ファラデーはもう衣を着かえて寝ようとしておったが、開いて見ると、翌朝面会したいというのであった。

 早速翌くる朝訪(たず)ねて行って面会すると、デビーは「まだ商売かえをするつもりか」と聞いて、それから「ペインという助手がやめて、その後任が欲しいのだが、なる気かどうか」という事であった。ファラデーは非常に喜び、二つ返事で承諾した。

七、助手

 それで、一八一三年三月一日より助手になった。俸給は一週二十五シリング(十二円五十銭)で、なお協会内の一室もあてがわれ、ここに泊ることとなった。

 どういう仕事をするのかというと、王立協会の幹事との間に作成された覚書の今に残っているのによると、「講師や教授の講義する準備をしたり、講義の際の手伝いをしたり、器械の入用の節は、器械室なり実験室なりから、これを講堂に持ちはこび、用が済めば奇麗にして元の所に戻して置くこと。修理を要するような場合には、幹事に報告し、かつ色々の出来事は日記に一々記録して置くこと。また毎週一日は器械の掃除日とし、一ヶ月に一度はガラス箱の内にある器械の掃除をもして塵をとること。」というのであった。

 しかしファラデーは、かような小使風の仕事をするばかりでなく、礦物の標本を順序よく整理したりして、覚書に定めてあるより以上の高い地位を占めているつもりで働いた。

 ファラデーが助手になってから、どんな実験の手伝いをしたかというに、まず甜菜(てんさい)から砂糖をとる実験をやったが、これは中々楽な仕事ではなかった。次ぎに二硫化炭素の実験であったが、これは頗る臭い物である。臭い位はまだ可(よ)いとしても、塩化窒素の実験となると、危険至極の代物だ。

 三月初めに雇われたが、一月半も経(た)たない内に、早くもこれの破裂で負傷したことがある。デビーもファラデーもガラス製の覆面(マスク)をつけて実験するのだが、それでも危険である。一度は、ファラデーがガラス管の内に塩化窒素を少し入れたのを指で持っていたとき、温いセメントをその傍に持って来たら、急に眩暈(めまい)を感じた。ハッと意識がついて見ると、自分は前と同じ場所に立ったままで、手もそのままではあったが、ガラス管は飛び散り、ガラスの覆面も滅茶滅茶に壊(こ)われてしまっておった。

 またある日、このガスを空気ポンプで抽(ぬ)くと、静に蒸発した。翌日同じ事をやると、今度は爆発し、傍にいたデビーも腮(あご)に負傷した。

 かようなわけで、何時どんな負傷をするか知れないのではあるが、それでもファラデーは喜んで実験に従事し、夕方になって用が済むと、横笛を吹いたりして楽しんでおった。

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入力:松本吉彦、松本庄八 校正:小林繁雄

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